あれは蒸し暑い夏の深夜二時のことであり喉の渇きを癒やそうと静まり返ったキッチンの電気をつけた瞬間に調理台の隅で何かがサササッと動く気配を感じた私は心臓が止まりそうになりましたがそこにいたのは大きな成虫ではなく体長わずか五ミリメートルほどの真っ黒な小さな虫でした。最初は小さなクモかと思いましたがよく目を凝らして見るとその背中には白い線が入っており長い触角を忙しなく動かしている姿は紛れもなくゴキブリの幼虫であり私はその一匹を見つけた瞬間に背筋に冷たいものが走る感覚を覚えました。一匹いれば百匹いるという格言が頭をよぎり私は手近にあったアルコールスプレーを噴射してその個体を仕留めましたが問題はその後に訪れた強烈な不安感でありなぜなら幼虫がいるということはこの家のどこかで卵が孵化し無数の兄弟たちが潜伏していることを意味しているからです。私はパニックになりながらも懐中電灯を手に取り冷蔵庫の裏やシンク下の奥まった隙間を照らし出しましたがそこにはホコリに紛れてさらに数匹の同じような幼虫がうごめいており私の部屋がいつの間にか彼らの保育所と化していた事実に絶望しました。翌日から私は家中の大掃除を敢行し家具を全て動かして溜まっていたゴミを一掃しましたがそこで見つけたのは小豆のような茶褐色の卵鞘の抜け殻でありそこから数十匹の軍団が解き放たれたのだと悟り激しい自責の念に駆られました。あの夜の遭遇は私の衛生観念を根本から変える出来事となり今では寝る前にシンクの水分を完璧に拭き取り食べかす一粒さえも残さないストイックな生活を続けていますが不思議なことにそれ以来あの黒い幼虫を見ることはなくなりました。ゴキブリの幼虫は成虫のような威圧感こそありませんがその小ささゆえに人間の死角を突く天才であり一度姿を見せてくれたことは私にとって住まいの管理の甘さを指摘する最後通牒だったのかもしれません。もしあの時一匹の幼虫をただの迷い込みだと思って放置していたら今頃私の家は彼らの帝国に飲み込まれていたはずであり早期に異常に気づけたことだけが唯一の救いでした。暗闇の中で蠢く小さな影は不快な存在ではありますがそれを放置せずに向き合い環境をリセットする勇気を持つことが本当の意味で清潔な日常を取り戻すための第一歩になるのだと私はあの日々の戦いを通じて確信しています。今でも夜中に電気をつける際は一瞬の緊張が走りますがあの時徹底的に隙間を埋めたパテの跡を見るたびに自分はこの城を守り抜いたのだという静かな自信が湧いてくるのです。