本棚の暗がりや、押し入れの隅で遭遇する、あの銀色に光る不快な虫。私たちは彼らを「紙虫」と呼んだりしますが、その正式な和名は「シミ」、そして漢字では「紙魚」と書きます。なぜ、陸上で生活する昆虫である彼らが、「魚」という漢字を当てられているのでしょうか。この奇妙な名前には、大昔から人間の暮らしのすぐそばで生きてきた、この原始的な昆虫に対する、先人たちの鋭い観察眼と、驚くべきネーミングセンスが込められています。その由来を紐解くと、いくつかの説が浮かび上がってきます。最も有力な説は、その「見た目」と「動き」が、まるで魚を彷彿とさせるから、というものです。紙魚の体は、銀色や灰色の光沢を持つ、細かな鱗粉(りんぷん)で覆われています。この鱗粉が、光の加減でキラキラと輝く様子が、まるで魚の鱗のように見えたのでしょう。そして、彼らの動きは、他の昆虫とは一線を画しています。体を左右にくねらせ、まるで泳ぐかのように、滑らかに、そして非常に素早く床や壁を走り抜けます。この、にゅるりとした流線的な動きが、水中を泳ぐ小魚の姿と重なって見えたとしても、不思議ではありません。「銀色の鱗を持つ、魚のような動きをする、紙を食べる虫」。これが、先人たちが紙魚に抱いたイメージだったのです。また、別の説としては、彼らが好む環境に関係しているというものもあります。紙魚は、湿度の高い場所を好みます。本が湿気を吸い、少しカビ臭くなったような環境は、彼らにとって最高の住処です。この、水気のある場所を好む性質が、「魚」という漢字を連想させたと考えることもできます。いずれの説が正しいにせよ、「紙魚」という名前は、この虫の本質的な特徴を見事に捉えた、文学的ですらある優れたネーミングと言えるでしょう。彼らがいかに古くから人間のそばに存在し、書物と共に生きてきたか。その歴史の長さを、この二文字の漢字は、私たちに静かに物語ってくれます。「害虫」という一面的な見方だけでなく、その名前の由来や背景を知ることで、この奇妙で、少し不気味な同居人への見方が、ほんの少しだけ変わるかもしれません。