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2025年10月
  • 古書店の片隅で紙魚と過ごした日々

    害虫

    私が学生だった頃、町の片隅にある、時間が止まったかのような古書店でアルバ倉イトをしていたことがある。高い天井まで届く本棚に、ぎっしりと詰め込まれた古書たち。インクと古い紙、そして微かなカビの匂いが混じり合ったその香りは、私にとって何よりも落ち着く香りだった。そんな特別な空間で、私は初めて「紙魚(シミ)」という、奇妙な同居人と出会ったのだ。最初の遭遇は、店の奥にある、ほとんど人の手に取られることのない専門書の山を整理している時だった。一冊の分厚い洋書を手に取った瞬間、そのページの間から、銀色に光る小さな生き物が、にゅるりとした動きで滑り出し、本の陰へと消えていった。一瞬、心臓が跳ね上がった。しかし、私の驚きを察したのか、カウンターの奥で黙々と作業をしていた白髪の店主が、顔も上げずにこう言った。「ああ、シミか。本の番人みたいなもんだよ。慌てることはない」。店主曰く、シミは本の糊を食べる害虫ではあるが、彼らが出てくるということは、その古書店が持つ独特の湿度や環境が保たれている証拠であり、本が「生きている」証なのだという。それ以来、私はシミを見つけても、以前ほど驚かなくなった。むしろ、彼らの存在は、この古書店が持つ長い歴史の一部のようにさえ感じられた。貴重な和本を整理している時に、和紙の上を優雅に滑るように移動するシミの姿は、まるで水墨画の中の生き物のようにも見えた。もちろん、商品である本を傷つける害虫であることに変わりはない。店主も、定期的に本の虫干しをしたり、見つけたシミをそっとティッシュで捕まえたりと、彼らなりのやり方で、本と虫との絶妙なバランスを保っていた。あの古書店での経験は、私に多くのことを教えてくれた。一般的には不快害虫として忌み嫌われる存在も、見方や環境を変えれば、全く異なる意味を持つことがある。そして、長い時間の中では、人間と、人間が作り出した文化と、そして小さな虫たちとが、奇妙な形で共存してきたのだという、当たり前で、しかし忘れがちな事実を。今でも、家の本棚でシミを見かけると、私はあの古書店の、インクと紙の匂いを、ふと思い出すのである。